矢合観音は、お寺ではなく所謂在家である。

橋本家に代々奉祀されて来た観音様が諸病に効験がある、と言うことでいつの時代からか近隣近在は無論のこと遠地からも参詣者が集まるようになった。

宗派は禅宗、臨済宗妙心寺派である。

矢合観音の由来については、これを奉祀する橋本家に於いても定かではなく、関東から来た六部が当家で痛く世話になり、その礼に観音像を置いていったとも伝えられ、或いは戦国時代も末期、矢合には城がありその城主の持仏だったとも、又は井戸から出た仏様とも。謂われは諸説あるが、江戸時代の尾張藩の学者細野要齋の随筆「感興漫筆」に収録されている如く、今から250年位前、矢合円興寺(今の国分寺) に於いて大法会があり、橋本家先祖が労を厭わず奔走したその礼に住職から仏像を附与されたとするのが当を得ていると思われる。先の細野要齋は安政3年に参詣に来ている。

矢合観音では始め乳の病、指の痛みを呪していたが後には諸病の全快も祈るようになったとある。

(註「感興漫筆」は蓬左文庫の中にあり)

お水については庭の井戸より湧く水が霊験ありと言うことで、いつの頃からか近在に伝わって行った。植木・苗木の産地としての矢合が各地に知られ、その販路の広がりと共に矢合観音の評判も口伝され、遠方にも知れ渡ったのである。

特に毎月十八日は(命日)縁日と言うことで老若男女の参詣は一層多く終日輻湊する。